東海道 関 宿 亀山市
東海道53次の江戸から47番目の宿場、そのほとんどが大きく変容している中で東西1.8キロメートルの江戸から明治にかけての建物が色濃く昔の面影を残している宿場である。
2024/10/31
東追分を経て名古屋方面に向かう
関宿旅籠 玉屋の「虫籠窓」
この家(当時両替商)の屋根は丸い形の屋根であるがこれを「起り屋根」(ムクリ屋根)という
写真左端が当時高札場であったがその辺りは現在は郵便局になっている
西の追分を経て京都、大阪方面に向かう
白 井 宿 渋川市
白井宿は白井城下町の市場町であったが、昔から草津道、沼田道の分岐点として多くの旅人が行き交い、街並みの形態から「宿」と呼ばれることが多かった。江戸、明治と三度の大火にあったが繁栄した商家の面影をわずかに残している。
2024/04/01
利根川から水を引いた水路
薬師の井戸
羅漢水の井戸
北向地蔵尊石堂
塩津海道
塩津海道は古代から日本海と都へと続く湖上交通の重要な街道であり、塩津は重要な宿場、
「丸子船」の基地でもあった
2023/11/27
常夜灯(国道8号線の現在地に移設)
旧酒屋
琵琶湖水運に重要な丸子船
北国街道 上田・柳町
北国街道は信濃追分より小諸、海野宿を経て上越高田方面に向かう重要な街道である。(佐渡からは金などが運ばれた)柳町は上田の商家が多いところであった。
2023/04/04
商家の中庭
うだつや親子切り子格子が見られる
出雲街道 宿場町・城下町 勝山
「のれん」の町並み
2022/04/04
木 曽 路 を 行 く
贄川から馬篭まで、11の宿場がある。多くはわずかにその面影を残すのみである。そのなかでもいくつかの宿場は多くの人々の努力により日本の美しいむらとしてよみがえっている。
2014/10/10
石碑には「木曽路ハ コノ桜沢ヨリ 神坂ニ至ル 南二十余里ナリ」とある
今に残る桜沢付近の旧家
現在関所跡には観光案内所がある
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奈 良 井 宿
鍵の手 道を直角に折り曲げて敵の侵入を阻むためにもうけられた
妻 籠 宿
昭和42年奥谷林家のいろり端で町並み保存構想が話し合われた。ここから今日の町並み保存が動き始めた。
2014/10/11
妻籠宿旧脇本陣
枡形跡 下の写真の所に続いている
妻籠宿と馬籠宿の間を結ぶ中仙道
馬 籠 宿
2014/10/11
急傾斜地にもうけられた枡形
島崎藤村記念館
高札場 幕府のお触れを通行人に知らせた掲示板
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北國街道
未設定
海 野 宿
2014/04/07
白鳥神社にある大欅
本陣跡
二階には出桁と海野格子がみられる
うだつのある家並み
会津西街道
大内宿
2008/04/16
2010/02/01