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写真や日々のことなど


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大河長江の映像詩
「クライマーズ・ハイ」ならぬ「サンライズ・ハイ」
「 孫 撮 り 」
「ポエム」の増殖
石造りの風景を見て
庭先の甘夏みかん
二月堂のお水取り
旅 と 写 真
写真がいっぱいたまった!
写真について考えること
今、フルサイズ・コンデジがおもしろい


旧 Blogアーカイブから

「折々のこと」(時々日記)より転載
新着→ 過ぎし日々を思い起こして


大河長江の映像詩


2018/02/22

 映画「長江 愛の詩」( 第66回ベルリン国際映画祭 銀熊賞受賞作品 )を観た。大河「長江」の風景映像が実に素晴らしい。壮大な風景のバックに流れるテーマ音楽がまた、いい。あまり「ストーリー」を追わずにみる映画とも言えそうだ。
 風景はただ眺めていてもあくまでも風景にすぎない。人びとの生活、その思いを通してはじめて感動的な「風景」となる。この映画には一度も晴れ渡った長江、色鮮やかな流れは登場しない。寒々と雪の舞う厳しい大河の中を進む貨物船が絶妙なカメラアングルで描かれている。ダム建設によって変わりゆく三峡の流域を哀切をこめて撮られている。それが観ている者の心の奥深いところを揺さぶってくる。
 映像には音響もいかに大切な要素であるかも教えてくれる。雄大で絶景という言葉を遙かに超える映像美を更に盛り上げてくれるのが音響である。鉄錆のかたまりのような巨大貨物船のきしむ音、川面や両岸に響き渡る大型船のエンジン音、そして大河の流れを象徴するように重く悲しげなテーマ曲、美しい映像を見ながらいつまでも聞いていたいと思った。
 ただ「愛の詩」の邦題がどうも(?)。その辺りにありそうな愛の詩ではない。




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「クライマーズ・ハイ」ならぬ「サンライズ・ハイ」


2015/10/13

 先日の旅でカナダのレイクルイーズという湖に行った。早朝まだ薄暗い湖はシーンと静まりかえり、人の気配もあまりない。空気は10月初旬にもかかわらず冷たく、ひきしまっている。大きな岩石の山々は暗黒の姿で湖を取り囲んでいる。湖面も表現しがたい色あいで、こんな情景を一般的には神秘的と表現するのであろうか。空は晴れており、そのうち太陽がこの情景をどのように大転換してくれるのか期待が高まった。カメラの設定を何度も確認し、ファインダーを覗き込む。そんな空気感の中でやがて朝日が山の頂上を黄金色に染めあげる。暗い湖面にその輝きを映す。この瞬間、体の芯というか、頭の中心というべきか、何かゾクッとしたものを感じた。そして、疲れも寒さも全く感じない。だだ夢中でシャッターを押し 、この「レイクルイーズ」のすべてをファインダーに取り込もうとした。
 あの盛り上がる気持とすがすがしさはなんであっただろうか。いわば「サンライズ・ハイ」といえなくもない。普段の生活を振り返ってみると残念ながら、なんというか今一つ しまったところがない。毎日「レイクルイーズ」を見ながら生活する訳にもいかないが、もう少しはましな生活の仕方はないものか。あの感動を日々の生活の中にも見い出していきたい。旅から帰っての心境である。


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「 孫 撮 り 」

2014/08/12

 「ニューニュー(牛乳)ちょうだい、おじいちゃんにもあげてね」なんて、言ってくれた孫娘も今では小学校五年生である。その後、孫は長男の子と長女の子、合わせて5人となった。
 写真を趣味とするアマチュアカメラマンにとって当然のことながらポートレイトはほとんど孫たちである。ポートレイトの撮り方、ポートレイト用のレンズなどなどハウツー本を読んでみたところでなかなうまく撮れるものでもない。なんとか、かわいい様子を写真に残してあげたい。その子らしいところを撮ってやりたい。また、どこかでみた雑誌のグラビアのような写真を撮ってやりたい。いつもそう思いながらシャッターをきっている。
 試行錯誤から学んだことは、なんといってもそのシチュエーション、具体的には背景をよく選ぶことが大切である。半逆光などにより、人物を浮き立たせる位置を選ぶこと、背景は少し明るく色合いのいいところがよい。暗く落ちたバックも、もちろんいい。頭髪の輪郭が逆光で輝いていたりすると撮る方が益々勢いづいてくる。その背景に合った色合いのいい着衣を用意し、身なりを整えた方がベストである。また、子供はすぐ飽きてしまう。これが孫撮りのなかなか難しいところである。常に言葉を交わし、一番いい表情の瞬間を待つ。その子にとってどんな瞬間が一番かわいいか、また、その子はどんな表情をするかを常日頃から観察しておかなければならない。つまり、期待した表情を引き出してやらねばならない。笑顔さえあればいいという訳にはいかないのである。思いはそうとうなものであるが結果はなかなかついてこない。しかし、いつか「撮っておいてくれてよかった」「なつかしい写真があった」といって見てくれる人がいればそれだけでいい。
 心配事が一つある。これから孫たちはいつまで私のモデルになってくれるかである。人生に悩みは尽きない。

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「ポエム」の増殖

2014/01/16
 白い朝霧の中で薄紅色の桜の花に出会ったり、茜色の夕陽と真っ黒な山の端が川面に映っていたりしたら私は夢中でシャッターを押すに違いない。私も「詩情豊かな」写真に出会いたいと思っている。
 ところで近頃、世の中では「ポエムが増殖」しているらしい。(NHKテレビ番組・クローズアップ現代・増殖する″ポエム″)その中でこんな映像を見た。若者たちが心地よい響きを持つ言葉や誓いと言ったようなもの(ポエム)を職場や同業の集会で皆が感涙にむせびながら「感謝!感謝!」、「人に喜んでもらうのが生き甲斐でーす!!」などと「絶叫」している。解説によれば低賃金で16時間以上もの長時間労働を自らの意思でやっている(やらされている?)という。そのような中で、誰かの呼びかけで生きがいを求め、連帯感を求めての行動であるらしい。これによって一生懸命働けるというのである。また、自治体がつくる条例の名称にまで「ポエム」が流行っているという。  
 全ての現象がそうだとは思わないが何か異様なものを感じる。論理的な思考や理性的な話し合いよりも雰囲気づくりが先行する世の中はどう考えてもおかしい。
 さらに言えば近頃の政治的な動きや次々打ち出される政策の右傾化には少なからず危惧を感ぜざるを得ないがこれはこれでまだ私などにも目に見える。(ただし、マスメディアがしっかり報じてくれることが大前提ではあるが)しかし「ポエムの増殖」のような世の中の雰囲気とでも言うよう動きは、なかなか一般人には目に見えないことが多い。前述の若者などは人間らしい生活と生きがいを求めて、時間的余裕とそれにふさわしい賃金を得られるような方法を模索するべきだし、それを連帯して獲得することにこそ連帯感と生きがいを見つけるべきだと思う。また、社会的にいえば人たるに値する生活が営み得る仕組みづくりこそ急務なのである。
 震災後、よく使われる「絆」という美しい言葉でさえもよく吟味して使われなければ本質を見失うことだってあることに気付かねばならない。しっかりやらなければならないことを『絆があれば」で済ましてはならない。
 美しい「詩情」を求めるがゆえに「ポエム」もリアリズムに裏打ちされていなければならないのだ。


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石造りの風景を見て

2013/06/10
 今回、 フランスの古い石造りの屋並や城塞、橋など中世の佇まいが残る街や村を尋ねることがきたマロニエの花が咲き、バラの花が美しい時期であった。
 風化した石の色合いや街や村の風情はいずこの地も当然のことながら私の見慣れた日常生活のそれとはずいぶん違ったものであった。
 訪れた多くの地は山間の聖地であり、石造りの要塞都市であった。私の知るところでも中世にはずいぶん不条理なことがおこり、たくさんの人々の血が流されている。この石畳や石壁にもどれほどの血が染み付いていることであろうかとつい考えてしまった。
 この石積みを見ているとその染みが見えるようでもあるし、また、長い年月によって浄化されてのことか、それが妖しくも美しいものにも見えた。
 時の流れはさまざまのものを風化させ浄化させる。それは重いものであり、美しいものでもある。
 今日においてもそこには人々の暮らしがあった。土地の人がのんびり本を読んでいたり、お店で忙しそうに立ち働く様子を見ながら延々と歴史は繰り返えされていることを改めて思った。

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庭先の甘夏みかん



2013/04/07

 今年も甘夏みかんの収穫の時期を迎えた。庭先に自分たちで植えたものだけに、説明しがたい愛着がある。量の多少はあるが毎年たくさんの実をつけてくれる。
 今では酸っぱさを嫌ってか、果物としてはあまり多く売られてはいないようである。しかし、私にとっては我が家の甘夏みかんは比較的甘い品種であると同時に昨今、果物のみならず「あまーい」ものが横行する中、ぴりりとしまったこの味は貴重なもののようにさえ思える。
 この甘夏みかんを使って我が家では毎年皮ごと使うマーマレードを作ることにしている。朝食のバンにつけて食べると、これがとびきりうまい。甘さと香り、そして苦みがなんともいえない。ただ今年の夏みかんは例年と比べて少し酸味が強いようである。これはみかんどころの方に聞いた話であるが夏に雨が少なかった年のみかんは酸味が強いという。そう言えば昨年の夏は雨が少なく大変暑い夏であった。我が家の甘夏みかんもその影響を受けたものと思える。
 さらに心中をあかすと、この甘夏みかんを見ると思い出すことがある。今から9年前の春、私は後1年で38年間の勤めを終えようとしていた。自分で選んだ仕事であるし、仕事のどれもがそうであるように苦しくもあり喜びもあるものであったが最後の1年となると疲れてきていることも確かであった。誰もが経験しているように定年退職を前にして早く「毎日が日曜日」の来るのを待っていた。そんな時、あまり今まで気にとめたこともなかった甘夏みかんの木を意識し、ある思いをもった。春先、白い花が咲き、そして小さな青い実をつけ、定年退職の時期である三月の終わりには黄色い大きな実となってその時期を迎えることができる。毎日のようにその甘夏みかんの様子を見ながら、あの実が大きくオレンジ色に輝く頃には「自由」になれる。「あの実が・・・」、そんなことを考えながら毎日出勤していたものである。
 「毎日が日曜日」の今、「自由の身」の今、毎日、自由であることさえ忘れている。


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二月堂お水取り

2013/03/07

 一年前の37日を思い出している。
 国内ツアーのパンフレットに東大寺二月堂のお水取りの写真をよく見かける。暗いお堂を背景に松明が赤々と燃え、火の粉が散る。その写真を見ていて、いつかは見たい、いつかは撮りたいと思っていた。
ちょうど一年前3月7日、格安のお水取り見学ツアーをみつけ、出かけた。行くことだけを考え、今まで、私は夜景の撮影はあまり経験が無く、その撮り方など、三脚にカメラをすえて長時間露光をすればよい程度に考えていた。ところがパンフレットにあるような写真はそう単純なものではなかった。
 撮影できる場所も一、二年前からはお堂の前ではできず、三脚を立てての撮影は300〜400メートルもあるカメラマン席なる所からであること、撮影席も5時間も前から場所取りがはじまることも現地に行ってはじめて知った。そんなことでせっく行っのだからということで5時間以上も前からカメラマ
席と書かれた札のついた囲いの中でじっと待つことになった。せかく来た奈良公園をゆっくり見ることもなく、なにをして待っていたらよいか心配しながら忍耐の時間がはじまった。
 ところがそんな心配は無用であった。近くに同じように三脚を立てた写真愛好家の方々といろいろと話がはずみ、ど素人カメラマンとしては、いろいろ教えていただくことがあり、とてもありがたい時間を過ごすこととなったのである。
 そのなかで特にH氏には大変お世話になった。動く松明の明かりをお堂の姿も写し込みながら描くには少し明るめの時に撮ったお堂の写真と松明の明かりを多重露光で撮った写真を合成して仕上げることなど、撮影時も手取足取り、ご指導いただいた。また、それ以上に写真への情熱、楽しみ方など教えていただいた。その後もH氏のホームページを見せていただき、勉強させていただいているところである。
 一年前を思い起こし、今でも感謝の気持ちでいっぱいである。 



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旅 と 写 真


 、思い入れのある所を度々訪れるのもいいが、できれば行ったことがない所がいい。さらにより遠くがいい。もちろん体力、金力、時間力の許せる範囲内という前提条件ってのことではある。 その風景も家の形がいつも見ているものと違っていたり、電車の中で聞く高校生や土地のおばちゃんたちのしゃべる言葉がいつもと違っていたりすると「思えば遠くに来たもんだ♪」ということになる。さらに顔かたちが見慣れない人が多く、話している言葉の意味もわからない。植生までも違っていると、これはさらにおもしろい。
 こんな風景を写真に撮らないでおく方はない。旅の風景はその時いいと思った所でも帰ってきてしばらくたつと忘れてしまうことが意外に多い。こんな写真をコレクションとして残しておくと何度でも味わえるという訳である。




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写真がいっぱいたまった!


 たいした技術も持ち合わせている訳ではないが、ずいぶん以前からカメラを持ち歩いていた。カメラがデジタルになってからは写真がHDの中に眠ってしまっていることが多くなり、どうしたらいいものかと、思案していた。そこで、あくまでも自分が時々ながめるために、サイトを立ち上げ、アルバム風にまとめてみようと考えた。それを時々スクロールしながらながめるのもなかないいものだ。
 しかし、これはこれでいいのだが写真はプリントして簡単でもいいからアルバムに貼り、手にとってページをめくりながらながめるのがやっぱりいいような気もする。モニターで見る写真はあくまでもHDの中にある一枚をちょっと覗いているような感じがするし、プリントした写真はなにか独立したものとして見えてくるのはどうしたことだろう。作品として見えてくるといいかえてもいいかもしれない。少しいいかなと思うものはプリントして、アルバムに貼り、作品にしてやるのもいいと思う。


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写真について考えること


 写真が単なる記録であるか、芸術であるかはさておき、いい写真には見る者に対し何かを語りかけてくるものがあることだけは確かだ。その何かを訴えてくるような写真を撮りたい。人間の気持ちを知るにはその人の顔を見るのが一番早い。風景にしても、ポートレートにしてもその「顔」、つまり表情がよく見える角度、瞬間、フレーミングというものがあるはずだ。では人間の顔以外に表情の見えるところはないかというと、そうではない。後ろ姿にはそれを望むべくもないのか、というとそうではないはずだ。逃げる後ろ姿にもまた、逃げ腰の「顔」があるはずだ。要するに被写体の何を撮ろうとするかということであろう。さあ、具体的にどうすればいいかはまた闇に陥いる。
 とにかくカメラを持って歩くことを楽しむことにしよう。風景の中に、人の表情の中に、その「顔」をさがして、もっといい写真を、もっといいポートレート写真を求めていきたい。

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今、フルサイズ・コンデジがおもしろい

SONY RX1


 ソニーさん、今回は素晴らしいものを作ってくれました。これはいい。フルサイズで実にコンパクト、ツアイス35ミリF2の明るい単焦点レンズがついて、たったの482グラム(含バッテリー・メディア)。画質もいいし、絞りを開けてのボケもきれい。 外付けの電子ファインダーをつければ今まで使用してたカメラと全く同じ操作感で撮れる。
 重い一眼カメラと交換レンズを持ち歩くのが辛くなった者にとって、これはありがたい。今までフルサイズを使っていた者にとっては少なくともAPS-C以下のザイズにはしたくなかったからである。
 これからは35ミリの単焦点レンズをどう使いこなすかである。足で迫るしかない。35ミリの画角から見る風景なり、スナップなりをどう生かすか、また課題が増えた。


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旧 Blogアーカイブ

「折々のこと」(時々日記)より転載


折々のこと



退職して早一年

 2006年2月3日金曜日

 退職して一年余り、今まで結構多忙だったので、毎日どう生活するかなんてあまり考える必要がなかった。しかし、これからは否応なしに考えざるを得ないこととなろう。どうしてもやらなければならないことは何とかやった。
 こう寒い毎日ではやたらに出歩いてばかりはいられない。家の中での生活にも楽しみと充実感をみいださなければならない。
 絶対的にあるべき生活などあるはずがないから何を良しとするかは、快いと思うことをむさぼりながら、進むしかない。



自分を発見する


 2006年2月4日土曜日

 先日、テレビを見ていたら骨董収集家がこんなことを言っていた。骨董は自分を発見することであると。収集したものを後で並べてみると、結局、自分がどんなものが好きなのかが分かってくる。つまり、自分の発見であるのだという。
 人生にも絶対的な、普遍的なものなどない。その時その時によしとする生き方をしていけば、それが自分なのであるといえるのではないか。そんなことを思った。



河津桜

 2006年2月23日木曜日

「さくらのなかにさくらちる」、どこかで読んだ文の一節である。いつかきっと、この映像をハイビジョンカメラでドラマチックに撮りたい。そう思っていた。(ハイビジョンカメラはまだ購入していない)
 残念ながらそんな光景は見られなかったが本州で一番早く咲く桜といわれている河津桜を見に行った。花は濃いピンクでなかなか存在感のある桜であった。しかも今年は寒さが厳しく、いつもの年よりずっと遅れており、まだ二分咲きといったところだった。
 「つぼみのなかにさくさくらばな」とでもいうような光景、 先への希望とでもいうような雰囲気を醸しだす咲き始めの桜、 これもなかなか捨てがたいものであった。  
 思わず、帰り際に持ち帰る方法を心配しながらも、河津桜の大きな苗木を買い求めていた。


寒さの中で外仕事


 2006年2月8日水曜日

 一昨日は、梅の剪定と伐採した木の後かたづけに汗を流した。こんなに寒いのに額には汗が流れ、手足もぽかぽか。こういう仕事は、なんといっても肉体的に「力」を使い、運動にはなるし、何よりも仕事の成果がはっきりと見えて充実感がある。そして、仕事をしている最中は頭のなかが空っぽというか、無我夢中でいられる。
 寒さの中にも日の光を浴びて、萌えいづる直前の草原の感じがとても愛おしく思えた。これこそ農的生活の楽しさか。


別 れ

 2006年4月1日土曜日

 先日、父(養父)の三回忌の法要を済ませた。もう「お別れ」してからまる二年が過ぎたわけである。
 別れといえば、ずいぶん多くの肉親とお別れしてきたものだ。ものごころついてからだけでも、10人以上もの人を見送った。曾祖父、曾祖母、祖母、祖父、母、父、3人の叔母、叔父である。どこまで数えるかにもよるが姻族も含めると62歳をすぐそこにして、もう14、5人にもなろうか。
 こんなことを考える時、「お別れ」さえできないまま別れてしまった人もいる。実の父である。私が生まれて間もなく戦場に散り、会うことさえできないまま別れた、「父」である。
 親しいものとの別れを思い出すと、如何ともしがたいこととはいえ、寂しさが心の中心にしみわたる。


「 旅はまだ終わらない 」


 2006年7月5日水曜日

 昨日は少々重労働をした。今日は疲れていたし、外は雨である。
 ごろりと横になってipodのイヤホーンを耳に差し込んだ。中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」が流れた。もの悲しく、うら寂しく奏でる。「・・・旅はまだ終わらない・・・」という歌詞がやたら心にひびく。退職して2年目、もう「用無し」というようなところまで意識している訳ではないが、私だって「旅はまだ終わらない」、終わりたくないという思いなのか。ただ、「私の旅」とは何なのかさえも定かではないのだが、どうも体の中心がうずく。「行き先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢、遙か後ろを照らすのはあどけない夢、ヘッドライト・テールライト」と歌詞は続く。
 疲れたときは寝てしまうに限る。この種の「うずき」もまた寝るに限るのである。




一昨日の結婚式にて


 2006年9月12日火曜日

 本日は、ご多忙の中、結婚式にご臨席賜りまして誠にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 さて、去る4月23日は私の62歳の誕生日でございました。その二、三日前、私どもの長女がMY(新郎)にメールを出したようであります。お父さんの誕生日には来られるの、来られないの、と。そうしましたら、「特別ゲストを連れて行く」とあったそうです。「特別ゲスト」とは何だろう。お兄ちゃんは犬が好きだから、犬でも飼ったんだろうかと思ったそうであります。ほんとうのところは何のことなのと問い合わせたところ、なんと、結婚する相手の方を連れて行くということがわかったというのであります。
 それを聞きまして私どもは大変びっくりしたと同時にこの上ない喜びでいっぱいでございました。私などはすっかり気分的に舞い上がってしまいまして、まるで風船のように天井にむかって昇っていってしまうころを家内があわてて私の足をおさえて地面まで引っ張りおろしたというような次第でございまして、いってみればそんな状況でありました。
 かくして、4月23日、午後三時、かわいらしい、すてきなMH(新婦)さんが我が家をはじめて訪ねてくれたというわけであります。それは大変な感激でございました。そしてその5ヶ月後の今日、めでたく、結婚式と相成ったとうことでございます。
 二人を結びつけてくれたのがもしかして神であるとするならば私は神様に心から感謝したいと思います。そしてS家の皆様、また本日お集まりの皆様に心から感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
 これからも二人に対しご指導、ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。
 本日は誠にありがとうございました。



昨年を振り返って


 2007年1月7日日曜日

 もう新年も7日である。昨年を振り返ってみると結構喜ばしいことが多くあったなと、うれしい気持ちがよみがえる。
 まず、退職2年目にして多くの課題を正に東奔西走しながらかたづけたこと。
 加えて長女に二人目の孫が無事誕生したことである。最初の孫がかわいくて、二人目の子を平等に可愛がることができるのだろうかと心配した程であったがその心配は無用であった。生まれてみたら二人目も十分かわいい。そしてなによりも長男にお嫁さんが来てくれたことである。気さくで気どらないかわいらしい人でる。ほんとうにうれかった。
 私たち夫婦から始まった家族も二人の子供、それぞれの配偶者、そしてその子供たち。二人から始まって今や8人。(今年の5月にはもう一人増える予定)これからもどんどん増えていくはずである。
 このことを思うと一瞬ではあるが自分の存在も大事なものであり、また何か包まれているような安心感、満ち足りた気持ちになる。
 しかし、こんなことを思う瞬間でさえも彼らもまたみなそれぞれ独立、自立していく存在であり、それを見せつけられているようでそのパラドックスがまたおもしろい。



「長生き」の秘訣


 2007年2月27日火曜日

 「長生きをしたい」と誰もが思うはずであるが長生きをする方法が一つ見つかったような気がする。
 最近、テレビ番組を見ていると「千の風になって」という歌とその話題が様々な番組で取り上げられている。
 愛する人を亡くした悲しみ、それを乗り越えていく人々の思いを歌いあげたこの歌はとてもいい。そしてその思いには共感と感動を覚える。たとえ亡くなっても愛する人の傍を千の風となって、「いつも一緒だよ」というわけである。
 ただ、これ程日本中で、しかも流行のように、千の風、千の風では少々なじめないものを感じないでもない。
 朝日新聞の「天声人語」にこんな文章を見つけた。「アフリカのある部族には、死者を二通りに分ける風習があるという。人が死んでも、その生前を知る人が生きいてるうちは、死んだことにはならない。生者が心の中に呼び起こすことができるからだ。記憶する人も死に絶えてしまったとき、死者は真に死者になるのだという」
 私たちは一度、命が尽きても自分を知っている人がいる限り生き続けることができるのである。
 これからの人生、「世界中の人々の為に」とまではゆかずとも、せめて身近な人々の為に行動し、愛し、少しは力になってやり、長生きをしたいものである。




「暮るるにいまだ遠し」


 2007年8月2日木曜日

 「日残りて、暮るるにいまだ遠し」ある藤沢周平作品のサブタイトルである。
 また、なにげなくみていた映画の中で、少女が「これはわたしの我が儘でしょうか」というと老年の女性が「そんなにいくつも我が儘を言えるほど人生はながくないのよ」「いってらっしゃい」という。
 63歳を迎えて、そんな言葉を聞くたびに心境は、実に複雑である。なにも焦ることはない。じっくり人生を味わっていけばいいのだ。


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新着→ 過ぎし日々を思い起こして


コロナ渦の中で遠出の撮影に出かけることもはばかられ、かつてあちこちに書いた文の中から雑文をここに転載した





夏の終わりに

平成12年

 ひぐらしの声もこのあたりではあまり聞かれかれなくなった。今でも少し山間部に行くと日が少し西に傾きかける頃、カナカナと鳴く蝉の声が降るように聞こえる。少年の頃、東北の片田舎に育った私にはとても懐かしい風情である。「風情」と表したが、私にとって本当は正確ではない。むしろもの悲しく、不安な気持ちを想起させる情景である。
 少年の頃、農家の長男として生まれた私ではあったが子供心にも農業への未来はあまりにも不安が大きすぎた。そして私には家庭的事情も加わって、なんとしてもこの家をでなければならない。ふるさとを脱出しなければならない、という思いが重くのしかかっていた。一生懸命勉強をして、一人前の人物になるためにあの山を越えなければならない。山の向こうには日本の中心地、文化の中心地東京がある。その頃、東京は遠く、遥か彼方であった。
 周りを山々に囲まれたふるさとは、夏の夕方には独特の雰囲気を醸し出す。日中ギラギラしていたが故に、田舎の夕暮れはもの寂しさがいっそう強い。やろうやろうと思いながら勉強もせずに昼寝をしてしまった後のそんな夕暮れに、ひぐらしがカナカナと寂しげに鳴き、夕方を伝えるのである。立ちはだかる暮色の山々を眺めていると、これからの自らの人生を思い、将来への漠然とした不安が全身に迫ってくる。
 現在の君たちにとって、私たちの年代の者が駆られたあの山を越えなければという切実な思いは理解しがたいかも知れない。しかし、これからの自らの人生を思い将来への不安にもの思うあのほろ苦さはきっと共有できるはずである。それはその後の人生の活力となり、それぞれの人物をつくりあげていくのである。
 夏は終わった。ひぐらしの鳴く里山はもう、少しずつ錦繍の秋の準備をしている。それぞれの実りの秋を迎えよう。





高校時代を想う

昭和58年

 暮れに帰省するのは、数年ぶりのことである。小雪のちらつく風景を見ると暖かい冬とはいえ、やはり東北の地に来たという実感を持つ。新幹線ホームを増設した一ノ関駅は大きく様変わりしている。しかし三番線ホームだけはあの頃のままだ。古びた「盛方面」の標識、あの頃毎日見かけた「あべちゅう」の駅弁売りのオヤジさんもいる。
 国鉄大船渡線は私のなつかしき鉄路である。高校生の頃、折壁発六時十分の一番列車で一関へ通った。16・7の私は車中なにを考えていただろう。ふだんは、窓の外を眺めたり、本を読んだり、あまり能率のあがらない勉強をしていたように思う。だが試験のまえには脇目もふらずにノートなどみつめていた。
 ある定期考査の第一日目、一ノ関駅に着くと友達から昨夜学校が火事になったことを聞かされた。着いてみると一高の象徴とも言えるツタのからまる洋館づくりの旧校舎が焼け落ちていた。私は、試験が延期になったと聞いた時、火事の驚きよりも、ほっと安心する気分になった。その後わかった事だが、それは生徒の放火であった。理由は、試験がいやで、中止になればいいと思いつめてのことであったという。私は名前も顔も知らない彼に密かに興味を覚えた。彼をそうさせたのは何だったのだろう。彼だって少し冷静になれば放火したところで何の解決にもならないことは充分承知していただろうに・・・・・。
 一ノ関駅を出るとすぐ、車窓からは右手に釣山公園が見える。私はその下の所に一時下宿していた時があった。あの頃よく夕方など公園に登った。小高い山になっていて、市内が見渡せた。夕暮れの街をながめていると「今なんのために勉強して、これから自分はどうなってゆくのだろう」そういった不安にやりきれない思いがした。
 若者に向かって「君たちには無限の可能性がある、輝く未来がある」などとよく言われる。しかし、自分のこととしてこの言葉をとらえる時、それは何の裏付けもない、そして定まらないものへの不安とあせりの無限さでもある。あの時の彼の試験へのおそれもそれらのやりきれない焦燥感のあらわれではなかったろうか。今の私には無限に輝く未来もないかわり、それを求める不安もあまりなくなった。今、夕暮れの街を見渡して何を思うだろう。それよりも一人で夕暮れの街を見に釣山公園に登ることがあるだろうか。それをふと寂しくも思う。
 列車には高校生が乗り込んでいる。声高にしゃべる一団、一人黙って本を読む者、あの頃と同じである。彼らもまた夢と不安が交錯した思いをいだいて列車にゆられているのだろうか。列車は青黒く流れる北上川の鉄橋を渡っていく。両岸近くには薄氷がはっている。その上にだけ、わずかに白く雪が積もっている。